後藤博多人形株式会社の変遷

明治38年(1905年)初代後藤丑之助は、福岡市大浜
(現、博多区神屋町)の地に博多織製造販売の会
社「後藤丑之助商店」を興し、絹糸で伝統の博多
帯を製造していました。博多帯は、丈夫で締めや
すくデザイン性にも優れ、緩まないことが好評で、
博多を中心に関西、関東にも商圏を広げて
いきました。
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ところが、昭和10年代より始まった大東亜戦争の
影響で、原材料の入手が難しくなり、また、帯の
需要も減ったため博多織の製造販売の中断を余儀
なくされました。3男長兵衛は、昭和19年、国の
命令により軍需産業の会社「後藤航機製作所」
(現、後藤博多人形の前身)を設立し、九州飛行
機という会社の下請けとして、木材やジュラルミ
ンを材料に戦闘機のフラップや部品等を製造し
納めていました。終戦直前には、「震電」という
戦闘機のフラップを製造しましたが、終戦となり、
この飛行機が実際に戦闘に参加することは
ありませんでした。
博多人形画像02
戦争も終わり、3男長兵衛によって博多織の仕事は再開
されましたが、昭和20年11月復員した4男源蔵は、
「後藤航機製作所」で働いていた従業員の中に博多人形
の制作経験者が2名いたことで、彼らを使って博多人形
の製造卸の事業を開始し、社名を「後藤航機製作所」の
「航機」を取り、「後藤製作所」と改め、博多の伝統
工芸品博多人形の製造販売と普及に努めることに
なりました。
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さらに、昭和49年社名を「後藤博多人形」に改名し、
福岡市博多区御供所町緑橋で小売り部門の
「工芸ぎゃらりーGoto」を併設し、斬新なデザイン
と時代に合った新しい博多人形と博多織の製造販売
を続けています。
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明治の時代、後藤丑之助が博多織の仕事を開始し、
戦時中、ジュラルミンで戦闘機の部品を作り、戦後、
土で博多人形を作る。絹からジュラルミンそして土
と原材料は大きく変えながらも、その時代が求めた
「もの造り」を追及してきました。
博多人形画像05

後藤博多人形株式会社は、
二大伝統工芸品である博多織・博多人形を
百年以上生産し続けています。
そして、多くの人々に喜んでもらえることが
誇りであり、日本の伝統文化を育て、
護り続けることが使命だと考えています。

代表取締役 後藤 幸子

博多人形師と祇園山笠

博多人形師
770余年の歴史を持ち、人々の心に烙印の如く刻まれ受け継がれてきた山笠。
街に飾られる壮麗な飾り山と、街を疾走する豪快な舁き山は人々の心を掴み続けています。
博多祇園山笠の主役となる飾り山と舁き山の制作にあたるのが博多人形師です。
山笠の主役を豪華絢爛にかざる数々の人形は、
博多人形師ならではの細かな感性と匠の「技」によって生み出されているのです。
博多人形師の手によって、博多祇園山笠はより美しく、熱狂的に人々の興奮を掻き立てます。

会社案内

社名
後藤博多人形 株式会社
所在地
福岡市博多区御供所町9-6
電話番号
092-281-4917
FAX
092-271-1183
事業内容
博多人形の卸・販売
オリジナル人形制作
博多織小物制作 卸・販売

アクセス

地下鉄祇園駅より徒歩3分

※地下鉄祇園駅から御笠川方面に向かい、
 緑橋交差点左角

※店舗駐車場あり

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